16才の頃、おやじが行きつけの銭湯で「おまえは小さく打てば小さく響くし、大きく打てば大きく響く。
大きくなったら、りっぱな人間になれよ。」そういいながら、励ましてくれた。
理想主義者で厳しかったおやじを恨んだこともあったけれど、今、おやじのあの時の一言が人生に夢をもてる人間になれたような気がする。そして、おふくろのやさしさと温かさで家族を支えて、いつも「人様に感謝をしなさい。」「迷惑をかけたらダメ。」そのことが、歌手になって20年。
今でも鮮明に思い出される。
そして、その事が、今の自分を支えてくれた。

自分は、いつもハンディを努力することでパワーに変えてきた。中学校しかでていなくても、中学校を出たその日から、人生大学だなと思って色んな人から社会で勉強させて頂いた。
歌手になって大ヒットすることも大事なんだけど、夢だけれど、20年経ってしまった。
永かったようで、あっという間の出来事だった。

どれだけの人と握手をして語り合ってきた事だろう。20年の記念として、横浜アリーナでコンサートが出来る。
演歌歌手として最高の喜びです。日本一の幸せ者です。
僕の夢を実現させるために片棒をかついで励まし、支えて下さいました皆様、ほんとうに有難うございます。心よりお礼申し上げます。
横浜アリーナが終わったら、神様が次のテーマを考えて下さってる筈です。
悪なき、チャレンジ精神を秘めて……。

「歌手生活20周年 日高正人 in 横浜アリーナ」
1989.10.13 FRI
コンサートパンフレットより


日高正人 ヒストリー 序章
昭和18年9月18日、鹿児島県屋久島にて生まれる。
小学生の時、鹿児島市内に移り住み、家業の炭屋を手伝いながら、歌声喫茶やクラブで歌っていた。
そこで、南こうせつさんの実兄で当時、鹿児島大学の学生だった 南慧昭さんと出会う。
昭和40年、21歳で歌手を夢見て上京、しかし、なかなか夢かなわず、 職を転々とし、恩師、竹村次郎氏のもとで歌のレッスンに励んでいた。
10代の頃、鹿児島、錦江湾東京板橋区にあった飯場の仲間たちと
昭和44年、自主出版で「鹿児島の雨にぬれて」を発売。
4ヶ月で1万3000枚をたったひとりで売る。それが認められ、翌年7月、ミノルフォンレコード(現徳間ジャパンコミュニケーションズ)よりメジャーデビューすることになる。
日高正人 ヒストリー 第1章 1970年〜
■昭和45年7月デビューシングル「鹿児島の雨にぬれて」発売。当時の芸名は日高隼人。
その年の松竹映画「満願旅行」(フランキー堺主演)の挿入歌に起用される。
デビュー当時 1970年頃
■昭和45年12月2thシングル「おんなの怨歌」発売。
■昭和46年9月3thシングル「うしろ姿」発売。
■昭和47年7月YTV全日本歌謡選手権10週勝ち抜き
全日本歌謡選手権10週勝ち抜いた瞬間パリ カルーゼル凱旋門(ルーブル美術館)前にて
■昭和47年4月4thシングル「想い出とかして」発売。
■昭和47年7月5thシングル「ひとり暮し」発売。
■昭和51年2月6thシングル「屋久島哀歌」発売。 故郷・屋久島で古くから島人に歌われていた民謡で、日高正人が生まれた1943(昭和18)年に作られた。戦争に出陣した恋人を想い歌った歌で、1976(昭和51)年のリリース直後、鹿児島−屋久島を結ぶフェリーの船内でBGMとして使用された。当時、交通手段は船しかなく、島から夢を持って、都会に出て行った若者達にとっても思い出深い1曲。
この曲から、芸名が日高正人となる。
■昭和51年10月7thシングル「天下一大物伝」発売。
■昭和53年7月8thシングル「男の祭り」発売。
■昭和54年9月9thシングル「笑いしゃんせ泣きしゃんせ」発売。
(作詞:喜多條忠 作曲:南こうせつ)
デビューから10年、クラウンレコードに移籍した日高は、今までにはなかった曲に挑戦した。それは親友『南こうせつ』からのプレゼントだった。そして単独でのコンサ−ト活動も本格的に始めた。
南こうせつさんと(1979年10月銀巴里にて)
日高正人 ヒストリー 第2章 1980年〜
■昭和55年8月10thシングル「めぐり逢わせ」発売。
皆さんは、日高正人と言う歌い手を、いつごろから知っていただろうか?
多分この曲から・・・という人が多いと思う。当時、有線チャートをにぎわした幻の名曲と言われている。この曲は、今でもカラオケ愛好家の間では根強いファンがいる。
■昭和56年6月11thシングル「涙街二人街」発売。
■昭和56年6月12thシングル「土俵花」発売。
芝田山親方(元横綱大乃国)の出身でもある、元「魁傑」今の放駒部屋親方の人間性にほだされて、できた曲。
■昭和57年4月13thシングル「海鳥よ」発売。
■昭和58年4月14thシングル「漁火酒場」発売。
■昭和58年11月日本武道館にてワンマンコンサート
12,000人の大観衆を動員。演歌界では、故 美空ひばりさん、森 進一さん、五木ひろしさんに次いで4人目の快挙。
“無名のスーパースター”日高正人の誕生である。
挑戦・魂 日高正人 in 武道館(昭和58年11月4日)
■昭和59年2月15thシングル「有馬押太鼓」発売。
■昭和59年4月16thシングル「春夏秋冬二十年」発売。
■昭和59年9月日本演歌大賞 特別賞受賞
■昭和60年2月17thシングル「父子酒」発売。
NHK「あなたのメロディー」より
■昭和61年6月18thシングル「港町三文オペラ」発売。
(作詞:阿久 悠 作曲:大野克夫)
日本レコード大賞作詞賞にノミネートされる。
この年、ポニーキャニオンに移籍、住まいも横浜に移る。
■昭和62年4月19thシングル「燃えて候」発売。
■昭和63年5月20thシングル「横浜物語」発売。
■平成元年5月この年に、「日高正人ふるさと巡り屋久島ふれあい紀行」がスタート
毎年5月に後援会参加者を中心に平均50名で行く2泊3日の旅。
これまで、小西良太郎さん、岡 千秋さん、など著名人の方々も多く参加して頂いています。(ちなみに小西さんは近年、毎年参加です。)
第11回 屋久島ふれあい紀行より (2000年)田代別館にて
左から小西良太郎さん、日高正人、岡千秋さん
■平成元年8月21thシングル「春夏秋冬二十年」発売。
(作詞・作曲:浜 圭介)
長野県下諏訪に訪れた浜圭介は、ある小さな旅館を宿とした。
嫁いでから今日で20年を迎えたと言う女将からの苦労話を聞き、心打たれた浜は、即興で歌を作り、彼女に聞かせた。そしてその浜の歌を聞いた日高は感動し、レコード化が実現した。今の日高のコンサートでは欠かすことのできない名曲の誕生秘話である。
■平成元年10月歌手生活20周年「日高正人in横浜アリーナ」
日高正人 ヒストリー 第3章 1990年〜
■平成4年7月22thシングル「親子杉」発売。
(作詞:星野哲郎 作曲:市川昭介)
縄文杉を題材に親子の絆を唄ったこの曲は、星野哲郎が屋久島まで足を運び、書き上げた力作。NHK新ラジオ歌謡曲でもおなじみの曲。
■平成4年8月薩摩大使委嘱。鹿児島のすばらしさを日本全国に紹介。
8月1日に当時の土屋佳照鹿児島県知事から、鹿児島県庁にて、認定証の贈呈式が行われました。
■平成5年10月MBC南日本放送「日高正人の銀座ナマナマ天文館」放送開始
これまで、放送回数約600回、毎週多彩なゲストで送る。
毎週日曜日21:00〜21:30パーソナリティー 日高正人、平沢美保子
ゲストの美川憲一さんと(2005年4月)
■平成5年12月アルバム ベスト・セレクション「よかど故郷」発売。
■平成5年12月故郷 屋久島が世界自然遺産に登録される。
■平成6年10月23thシングル「よかど故郷」発売。
(作詞:荒川利夫 作曲:岡 千秋)
故郷・鹿児島から東京へ旅立つ心境を綴ったこの歌は、日高の名刺代わり的な代表曲。
重量感のあるボーカルスタイルが、聞く者の心を包みこむように圧倒する。岡千秋 懇親の力作。
■平成7年8月24thシングル「めぐり逢わせパートII」発売。
第62代横綱 大乃国(左)約220kg、
日高正人(右)73kg
新聞取材で放駒部屋にて
■平成8年4月鹿児島市民文化ホール
「第1回 日高正人&いもづるの会コンサート」がスタート。
■平成8年11月25thシングル「少しだけ悲しんで」発売。
(作詞:荒木とよひさ 作曲は旧友の南こうせつ)
バブル経済が崩壊し、日本の雇用制度が揺らぎ始めてきた頃、【男たちを励まそう!】というテーマで、リリースされた。親友「南こうせつ」から2曲目に送られたのこの歌は、日高自身の歌手生活にとっても応援歌になっている。
■平成10年7月26thシングル「想い人」発売。
(作詞・作曲:長渕剛)
1983年、日高正人の日本武道館コンサートに感銘を受けた長渕剛が、日高のためにと作られた楽曲で、翌年の正月、日高正人の元へ届けられた。
だが当時、日高はノドを痛めていた。武道館の成功と引換に歌手の命であるノドを潰していた。そのためお蔵入りに・・・
それから、14年…。長渕剛のファンクラブ会報がきっかけで、「想い人」は蘇った。
アレンジには服部克久氏。レコーディングには長渕のバックミュージシャンまで参加した。

「いちずな男の悲しみみたいな、そう優しさが ありました。
やったね、日高の兄ィ!ありがとう」長渕剛
日高正人 ヒストリー 第4章 2000年〜
■平成11年1月長年支援してきた阪神淡路大震災・遺児孤児のためのケアハウス 「浜風の家」が兵庫県浜風町に開館。理事長は藤本義一さん
■平成11年2月アルバム 日高正人30周年記念全曲集「想い人」リリース
1999年10月8日 大阪厚生年金会館
歌手生活30周年 日高正人 in 大阪
■平成12年1月「浜風の家 一周年の集い」に皇太子殿下ご視察
■平成12年2月27thシングル「これも人生」発売。
高度経済成長を支えた、40代後半から60代の男たちが、リストラなどつらい思いをしている今、正人は人生の応援歌を唄った。
この年、ガウスエンタテインメントに移籍。
■平成13年6月28thシングル「達磨」発売。
(作詞・作曲:永井龍雲)
『「達磨」という歌は、日高正人という人に唄われるのを、待っていたような気がする。
無骨な者でしか分からない哀しみ、不器用な者でしか分からない一途さ、苦労を知る者でしか分からない優しさ。
これらを合わせ持つ歌手に唄われてこそ、この曲の完成を見た。
人情がもし、今も生き続けているのであれば、こんな曲が売れてほしい。
こんな男(ひと)が流行ってほしい。
そうすればまた、世の中きっと、穏やかになる。』永井龍雲
永井龍雲さんと(Kingrecords 関口台スタジオにて)
■平成13年7月映画「悪名」出演。
歌一筋に生きてきた男が役者になった。
正人は映画「悪名」に役者として挑戦した。
そして、現在も、映画・Vシネマ・テレビドラマなど、数々に出演している。
映画「悪名」出演シーンから
主役朝吉(的場浩司)の父親善兵衛役
■平成13年8月ベスト・アルバム「男!〜達磨〜」発売
■平成14年1月東京プリンスホテルにて、「第9回 ボウリング・マスメディア大賞 個人賞」受賞
NHK‐BS2「あの人この歌
(日高正人ワンマンショー)」
平成14年5月1日放送より
■平成14年6月29thシングル「港町メロドラマ」発売。
歌謡界に新ジャンル誕生!ジャパニーズR&B"ENKA"
作詞は宇井天平(小西良太郎さんのペンネーム)
■平成15年1月NHK朝の連続テレビ小説「まんてん」出演。
役はタクシー運転手
30thシングル「島の恋唄」発売。
「まんてん」撮影シーン
ロケ地 屋久島
■平成15年10月31thシングル「いいから・・・」発売。
■平成16年10月屋久島 日高十七郎(屋久町)町長から、長年の故郷貢献で 感謝状が授与される。
2005年1月30日 ホテルグランドパレス
「歌手生活35周年 日高正人 お祭り騒ぎ」にて
■平成17年6月作詞家生活40周年 「人間 万葉歌 〜阿久 悠 作詞集」に日高正人「港町三文オペラ」が収録される。
作詞家 阿久悠氏の著に、日高正人についてつずられたものがあった。
「この歌は正真正銘売れなかった。にも拘らず、知る人ぞ知るという名曲の中に入っていて、今でも評価は高く、ぼく自身も大作であると信じているのである。
ある人から、面白い歌手がいる、ひとついい歌を作ってもらえないかと頼まれた。
僕は、個人的に仕事を請けるということはあまりしない。しかし、ぼくは引き受けた。
彼にちょっと感じるものがあったからだ。・・・・<省略>・・・・・屋久島出身で演歌を歌っている。
これがかなり無名でありながら、日本武道館を満員にした。しかも、ど演歌なのに、プレスリーのような衣装で歌いまくる。いい男でもなく、若くもなく、歌も必ずしも上手いほうではない。・・・・・<省略>・・・・・もしかしたら、何十年後かにジャストマッチの歌になって帰って来るかもしれないと思ったりする。」といった感じで、書かれている。
人間 万葉歌 〜阿久 悠 作詞集
2005.06.22

アルバム/VICL-61631〜5
\8,400(税込) / \8,000(税抜)
Victor
■平成18年5月時代に流されることなく、ただひたむきに歌い続ける日高正人。
そして、36年間歌いつづけ、60歳を超えた今なお、常にネクストワンにこだわり続けているその姿は、多くの人々、また、著名人らの心をも動かし、そして魅了し続けてきた。そんな日高正人はこれまでにも数々のメッセージを送り続け、多くの人々に夢と勇気を与えてきた。
その、ある意味集大成でもあり、また、日高正人が長年描き続けてきた世界観がたきのえいじ氏と都志見隆氏という二人の作家との運命的な出会いにより、形となったのがこの「やじろべえ」である。
2007年問題。言うまでもないが、これは、高度経済成長を支え、現代の社会の基礎を作り上げたいわゆる、「団塊の世代」の人々が一斉に定年を迎え、技術の継承などへの影響が懸念されているというものであるが、それはまた、仕事が生きがいで生きてきた人々にとってはその生きがいを失い、そして自分自身をも失いかねない。歌ではそういった人々に対する、“自分らしく生きるのはこれからだ”という、まさに同世代である日高正人からの前向きなメッセージが込められている。そしてさらに、ただひたむきに走り続ける日高正人自身へのメッセージでもある。
最近、これまで以上に日高正人の歌が心に沁みるようになってきた。それはきっと音楽もダウンロードする、そんなデジタルな時代だからこそ、その対極にある、超アナログの日高正人の魅力がさらに際立ってくるというのも一つの理由なのかもしれない。そして、同時に本物は色褪せないということを日高正人は教えてくれた。
36年かかってこの曲にたどりついた。そしてまた、60歳を過ぎた日高正人が歌うからこそ心に沁みる。
日高正人にとって「やじろべえ」は到達点や通過点ではなく、まさにスタートラインなのである。
「やじろべえ」
作詞:たきのえいじ/作曲・編曲:都志見 隆
2006年5月10日発売
価格:1,200円(税込)/1,143円(税抜)
CDMS:TKCA-90110
CAS:TKSA-21018
販売元◎徳間ジャパンコミュニケーションズ
「夢をあきらめない男。
ひたすら夢に向かって歌い続けている姿にいつも感動させられます。
思えば随分前から日高さんとは関わりを持ってきました。
山もあり、谷もあり、その大きな体が泥んこになりながらも、
歌ってきましたね。
今思うと、その全部が日高さんにとって悔いの無い人生だったようで、
羨ましく感じます。
また、新しい年がやってきました。
ここまで来たらもう、“怖いもの”は無いでしょう。(女性は怖いですが・・・)
命尽きるまで大いに歌って下さい。喉が嗄れるまで歌って下さい。
きっと何があっても、決して“負けない”日高正人の生き方がそのまま皆の
希望の歌となるでしょう。」
南こうせつ

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